「私たち、子どもがいないんです。だから主人が先に逝ったら、財産は全部私のものですよね」
七十代のご夫婦が、そろって相談にお越しになったときのことです。奥様がそうおっしゃいました。ご主人もうなずいています。
違います。そして、この誤解がいちばん危ない。
お子さんのいないご夫婦の相続は、相続税より先に、財産が誰に渡るかで問題になります。今日はそこを書きます。
目次
子がいないと、誰が相続人になるか
配偶者は常に相続人です。ここは動きません。問題は、配偶者と一緒に誰が相続人になるかです。
順位が決まっています。
・第一順位 子。いなければ孫
・第二順位 親。いなければ祖父母
・第三順位 兄弟姉妹。亡くなっていれば甥や姪
お子さんがいなければ、第二順位に移ります。ご両親が健在なら、配偶者とご両親が相続人です。法定相続分は配偶者が三分の二、ご両親が三分の一。
ご両親も亡くなっていれば、第三順位です。配偶者と、亡くなった方の兄弟姉妹。法定相続分は配偶者が四分の三、兄弟姉妹が四分の一になります。
七十代でお子さんがいない場合、ほとんどがこの第三順位のパターンです。ご主人の兄弟に、財産の四分の一を渡す権利がある。
さらに、その兄弟が先に亡くなっていると、甥や姪が代わりに相続人になります。代襲相続といって、兄弟姉妹の場合は甥姪の一代限りです。
会ったことのない甥姪と話し合う
高崎市内で、こういうご相談がありました。
ご主人が亡くなり、奥様がお一人になられた。お子さんはいません。ご主人のご両親はとうに他界。ご主人は四人兄弟の長男で、弟さん二人も既に亡くなっていました。
残る妹さんが一人。そして亡くなった弟さん二人にお子さんがいたので、甥姪が五人。相続人は奥様を入れて七人になりました。
奥様は、甥姪のうち三人と会ったことがありませんでした。結婚式に来たかどうかも覚えていない、と。
遺言書はありませんでした。財産は自宅と、多くはない預金です。
戸籍を遡って全員の住所を調べ、手紙を出しました。返事が来るまでに二か月かかりました。そのうち一人は転居先が追えず、住民票の除票から追跡することになりました。
連絡がついたあとも、簡単ではありませんでした。多くの方は「奥さんが全部でいいですよ」と言ってくださったのですが、一人だけ「法律で決まっている分はもらいます」と主張されました。それも当然の権利です。
預金だけでは代償金が足りず、自宅を売る話まで出ました。最終的には、奥様がご自身の貯金を足して支払い、自宅は残りました。ただ、まとまるまでに一年以上かかっています。
申告期限には間に合わなかったので、いったん未分割で申告し、分割がまとまってから更正の請求をしました。この手順については十か月の申告期限の記事に書いてあります。
遺言書が一通あれば、この一年は要りませんでした。
相続税より、分けられないことが問題になる
数字で見ると、この構図がはっきりします。
財産が五千万円、内訳は自宅四千万円と預金一千万円。相続人は奥様とご主人の弟さん二人としましょう。
基礎控除は四千八百万円なので、課税遺産総額は二百万円。相続税の総額は二十万円です。奥様の分は配偶者の税額軽減でゼロ、弟さん二人の分は二割加算を入れても六万円。税金としては、たいした額ではありません。
問題は分割のほうです。弟さん二人の法定相続分は四分の一、金額にして千二百五十万円。預金は一千万円しかありません。二百五十万円足りない。
奥様が住んでいる自宅を売らなければ払えない、という話になります。相続税がほとんどかからない家庭で、住む家を失いかける。これが実際に起きていることです。
ちなみに兄弟姉妹や甥姪が相続する場合、相続税額に二割が加算されます。配偶者や子と比べて、財産をもらう縁が遠いという考え方によるものです。
兄弟姉妹には遺留分がない
ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。
遺留分という制度があります。遺言があっても、最低限これだけは受け取れる、という取り分です。配偶者と子、そして親には認められています。
兄弟姉妹には、これがありません。甥姪にもありません。
つまり「全財産を妻に相続させる」という遺言書を書いておけば、そのとおりになります。兄弟が後から異議を申し立てても、法的な根拠がない。
お子さんがいるご家庭では、遺言を書いても遺留分が残るので、完全には自由になりません。ところが子がいない夫婦の場合、遺言書一通でほぼ完結します。これほど効果がはっきりしている対策は、ほかにありません。
形式は公正証書遺言をお勧めします。公証役場で作るので無効になりにくく、家庭裁判所の検認も要りません。証人が二人必要ですが、公証役場で紹介してもらえます。
お互いに書いてください。どちらが先になるかはわからないからです。奥様が先に亡くなった場合、今度は奥様の兄弟姉妹が相続人になります。
遺言書全般については遺言書は必要かという記事にまとめました。子のいないご夫婦に限っては、必要かどうかを議論する余地がないと思っています。
遺言以外にできること
遺言書が本体ですが、補強できるものがいくつかあります。
ひとつは生命保険です。受取人を配偶者にしておけば、保険金は受取人固有の財産になり、遺産分割の対象になりません。相続人一人あたり五百万円の非課税枠も使えます。代償金を払う必要が出たときの原資にもなります。
もうひとつが、贈与税の配偶者控除です。婚姻期間が二十年以上あれば、自宅または自宅を買う資金を、二千万円まで贈与税なしで配偶者に渡せます。基礎控除百十万円と合わせて二千百十万円。自宅の持分を生前に移しておけば、相続財産が減り、分割の対象からも外れます。
この特例は一生に一度きりで、同じ配偶者からは一度しか使えません。使うなら、登記費用や不動産取得税も含めて損得を計算してからにしてください。
その次の相続まで考えておく
遺言でご主人の財産が全部奥様に渡ったとします。その先の話です。
奥様が亡くなったとき、その財産は奥様の兄弟姉妹、あるいは甥姪に渡ります。ご主人の親族には一円も行きません。ご主人が代々受け継いできた土地であっても、です。
これを望まないなら、奥様の遺言で「自宅は夫の甥に」と指定しておく方法があります。あるいは、二次相続まで指定できる信託を使う方法もあります。
お世話になった方や、お住まいの地域の団体に遺贈するという選択をされる方もいます。どこに渡したいかは、ご本人が決めることです。決めておかないと、法律が決めます。
財産を誰にどう渡すかを整理する段階では、分け方で税額が変わる話も一緒に見ておいてください。
元気なうちにしかできない
遺言書は、判断能力があるうちにしか書けません。認知症が進んでからでは、書いても効力を争われます。
冒頭のご夫婦には、その日のうちに公証役場のことをお話ししました。お二人とも「兄弟には悪いけれど」とおっしゃっていましたが、悪いことではありません。長年一緒に暮らしてきた相手に財産を残すのは、当たり前の意思表示です。
お子さんのいないご夫婦にとって、遺言書は財産を守る書類というより、残されたほうがその家に住み続けるための書類です。
四分の一という数字を、頭に置いておいてください。書かなければ、そこが動きます。
















