「うちは兄弟仲がいいですし、財産も自宅と少しの預金だけです。遺言なんて大げさですよね」
この言葉を、私はほぼ毎月聞いています。そして、揉めたご家庭のご相談でも、同じ言葉を聞きます。「まさかこうなるとは思わなかった」と。
家庭裁判所に持ち込まれる遺産分割事件のうち、遺産額が5,000万円以下のものが約8割を占めます。1億円以下まで含めると9割です。資産家が争っているのではありません。ごく普通のご家庭が、自宅と預金の分け方で止まっています。
理由は仲の良し悪しではなく、財産の中身にあります。分けられないものが遺産の大半を占めているとき、話し合いだけでは決着がつきにくい。それだけのことです。
遺言書が要る家と、要らない家。その線引きを書きます。
目次
揉めているのは、資産家ではない
司法統計を見ると、実態がはっきりします。
令和6年に家庭裁判所で決着した遺産分割事件のうち、遺産額1,000万円以下が2,810件、1,000万円超5,000万円以下が3,354件。合わせて全体の78%です。1億円以下まで含めれば約9割になります。
もうひとつ、注目している数字があります。決着した事件のうち、代償金の支払いが定められたものが約72%を占めることです。
つまり、争点は「誰が多くもらうか」ではありません。不動産を取る人が、他の相続人にいくら払うかです。金額の折り合いがつかず、家庭裁判所まで行く。これが典型的な形です。
相続税がかかるかどうかとは別の問題だ、という点も押さえてください。基礎控除に収まる家でも、分け方では揉めます。むしろ、遺産が少ないほうが1人あたりの取り分が生活に直結するため、譲りにくくなります。
1億円・子2人・自宅6,000万円で起きること
具体的に見ます。
・自宅(土地4,500万円+建物1,500万円)6,000万円
・預貯金 4,000万円
・合計 1億円
・相続人は長男と次男。母はすでに他界
長男が実家に住んでいて、そのまま住み続けたい。ごく普通の状況です。
法定相続分どおりなら、ひとり5,000万円です。長男が自宅6,000万円を取ると1,000万円多い。次男が預金4,000万円では1,000万円足りない。差を埋めるには、長男が次男に1,000万円を払う必要があります。
ここで2つの壁が出ます。
ひとつは資金です。長男に1,000万円の現金がなければ、この案は成立しません。もうひとつは評価です。次男が「自宅は売れば8,000万円になる」と言い出せば、代償金は2,000万円に膨らみます。分けられない不動産をどう分けるかの記事に書いたとおり、ここが最も紛糾する論点です。
遺言書があれば、この議論は起きません。「自宅は長男に、預貯金は次男に」と書いてあれば、そのとおりに分かれます。協議そのものが不要になるからです。
決まらないと、税額が540万円変わる
分け方が決まらないと、税金の面でも損をします。
同じ家族で計算します。基礎控除は3,000万円+600万円×2人=4,200万円。
長男が自宅を相続し、小規模宅地等の特例が使えた場合。土地4,500万円が8割減で900万円になり、3,600万円の減額です。課税価格は6,400万円、相続税の総額は230万円。
分割がまとまらないまま申告期限を迎えた場合。特例は使えません。課税価格は1億円のまま、相続税の総額は770万円です。
差は540万円。しかもこれを、期限までに現金で納めなければなりません。
「申告期限後3年以内の分割見込書」を出しておけば、後から分割がまとまった時点で還付を受けられます。ただし、いったん払う必要があることは変わりません。10か月という期限は、思っているより短いです。
揉めた家が損をするのは、弁護士費用や時間だけではありません。税額そのものが上がります。
自筆証書と公正証書、どちらを選ぶか
遺言書には主に2つの形があります。
自筆証書遺言
本文を自分で手書きし、日付と氏名を書いて押印します。費用はかかりません。財産目録の部分だけはパソコンで作れますが、各ページに署名押印が要ります。
弱点は、形式の不備で無効になりやすいことと、保管です。日付を「令和8年8月吉日」と書いただけで無効になります。自宅で保管していて、見つからない、あるいは都合の悪い相続人に処分されるという事故もあります。
これを補うのが法務局の保管制度です。手数料は1件3,900円。形式のチェックを受けられ、原本が法務局で保管され、家庭裁判所の検認も不要になります。自筆で書くなら、この制度を使わない理由はありません。
公正証書遺言
公証人が作成します。証人2人が必要で、公証人手数料は財産の額に応じて決まります。1億円規模なら、数万円から10万円程度が目安です。
強みは、無効になりにくいことです。公証人が内容を確認して作るため、形式の不備は起きません。原本が公証役場に保管され、本人の意思能力についても公証人が確認します。後から「認知症だったのでは」と争われたときに、強い証拠になります。
不動産が複数ある、相続人の間に対立がありそう、ご本人が高齢である。こうした場合は公正証書をお勧めしています。費用の差より、後から争われない確実さのほうが大きいです。
遺留分を無視した遺言は、火種になる
遺言書を書けば何でも自由に決められる、というわけではありません。
配偶者と子には遺留分があります。法定相続分の2分の1です。先ほどの例で、遺産1億円、子2人なら、それぞれ2,500万円が遺留分になります。
「全財産を長男に相続させる」と書くと、次男は2,500万円を金銭で請求できます。これが遺留分侵害額請求です。以前は不動産の共有を主張できましたが、法改正により金銭での請求に一本化されました。請求されれば、長男は現金で払うことになります。
つまり、遺留分を無視した遺言は、争いを防ぐどころか、確実に請求を招きます。書くなら、遺留分に配慮した中身にしてください。
先ほどの例で「自宅は長男、預貯金は次男」とすれば、次男の取り分は4,000万円。遺留分の2,500万円を上回るので、請求は起きません。この形なら、遺言が本来の役目を果たします。
もうひとつ。兄弟姉妹には遺留分がありません。お子さんがいないご夫婦で、配偶者に全財産を残したい場合、遺言書があれば亡くなった方の兄弟の同意なしにそれが実現します。遺言の効果がいちばんはっきり出るのが、この形です。
遺言があってよかった、と思う場面
高崎市内でお手伝いした申告の話です。
お父さまが公正証書遺言を残されていました。実家と隣接する土地は同居していた長男に、預貯金と有価証券は次男に。付言事項として、長男には土地の管理と墓の守りを頼むこと、次男には学費を多く出した経緯があることが書かれていました。
ご兄弟は遠方に離れて暮らしていて、それほど頻繁に行き来がある関係ではありませんでした。それでも、協議は必要ありませんでした。遺言のとおりに手続きを進め、申告期限にも余裕をもって間に合いました。小規模宅地等の特例も問題なく使えました。
次男の方が「親父がここまで考えていたとは思わなかった」とおっしゃったのが印象に残っています。効いたのは、財産の割り振りより付言事項のほうだったと思います。
付言事項に法的な効力はありません。それでも、なぜこの分け方にしたのかが書かれているかどうかで、受け取る側の納得はまったく変わります。私は、ここを書かない遺言はもったいないと考えています。
書くべき家、書かなくてよい家
最後に線引きを書きます。次に当てはまるなら、遺言書を用意してください。
・遺産に占める不動産の割合が高い(預金で調整できない)
・相続人のうち1人が実家に住んでいる、または事業を継いでいる
・子がいない(配偶者と兄弟姉妹の相続になる)
・再婚していて、前の配偶者との間に子がいる
・相続人の中に、連絡が取れない人や仲の悪い人がいる
・法定相続分とは違う分け方をしたい理由がある
逆に、遺産が預貯金中心で、相続人が1人しかいない。こういう家では、遺言がなくても手続きは進みます。無理に作る必要はありません。
迷ったときの判断材料は、財産の中身です。分けられない財産が全体の半分を超えているなら、書いておいたほうがいい。逆に、預金と有価証券だけで構成されているなら、優先度は下がります。
そして、遺言は判断能力があるうちにしか書けません。認知症の診断が出てからでは、公正証書も作れなくなります。「そのうち考える」で先送りされたまま間に合わなかったご家庭を、何度か見ています。
遺言書が必要かどうか、確認したい方へ
たかさき相続税・贈与税相談プラザでは、財産の中身を拝見したうえで、遺言書を用意すべきかどうか、どの形で書くべきかをお伝えしています。分け方によって税額がどう変わるかもあわせて試算します。作成そのものは、連携する専門家とともにお手伝いします。
たかさき相続税・贈与税相談プラザ
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公認会計士・税理士 長島祐太
















