「AIが入る前に、駆け込みで申告したほうがいいんでしょうか」
先月、そう聞かれました。ニュースで見た、とおっしゃる。急いだほうがいいのかと。
急ぐ必要はありません。申告の中身が同じなら、いつ出しても結果は変わりません。ただ、聞きたくなる気持ちはよくわかります。
今月、国税庁の基幹システムが二十五年ぶりに入れ替わります。相続税の調査でAIが使われ始めたのは、その一年前からです。何が変わって、何が変わらないのかを書きます。
目次
今月二十四日、基幹システムが入れ替わる
国税庁には、KSKという基幹システムがあります。国税総合管理システムの略で、全国の国税局と税務署をつないで、申告や納税の情報を一元管理してきました。二〇〇一年から動いています。
これが全面的に刷新されます。次世代版のKSK2が、令和八年九月二十四日から稼働する予定です。二十五年ぶりの入れ替えになります。
この移行に合わせて、書面で提出する申告書や届出書の様式も改められます。対象は千八百種類ほど。AI-OCRで自動的に読み取ることを前提にしたレイアウトに変わります。
相続税の申告書や、各種の法定調書も対象に入っています。紙で出すつもりの方は、古い様式を使わないよう注意してください。
相続税では、すでに一年前から使われている
実は、相続税の分野では先行して動いています。
報道によれば、国税当局は令和七年の夏から、相続税の調査対象を選ぶ作業にAIを使い始めました。提出された申告書のデータを分析し、過去の申告漏れの事例と照らし合わせて、リスクをスコア化する仕組みです。
それまでは、各国税局や税務署が一次的な分析をしていました。担当者が資料を見て、怪しいものを拾い上げる。この作業をAIが引き受けます。
相続税は、この手の分析と相性がいい分野です。申告書には財産の種類と金額が構造化された形で並んでいます。亡くなった方の年齢、職歴、財産の構成、相続人の数。過去の非違事例と比べる材料が、はじめから揃っています。
なぜ相続税から始まったのか。効きやすいから、というのが素直な見方だと思います。
何が変わるのか
税目の壁がなくなる
いちばん大きいのは、データの統合だと思っています。
これまでは、法人税、所得税、消費税、相続税・贈与税で、担当する部署も扱うデータも分かれていました。連携がないわけではありませんが、横断的に見るには手間がかかった。
KSK2では、これらが一つのデータベースにまとまります。同族会社の法人税の申告と、その社長個人の所得税、さらにご家族の贈与税の申告状況が、システムの中でつながる。
相続税の観点で言えば、こういうことです。亡くなった方が会社を経営していたなら、その会社の申告データと個人の資産の動きが並べて見られる。生前に贈与税の申告があったかどうかも、すぐわかります。
名義預金の判定に、贈与税の申告履歴は決定的な材料です。「贈与したつもり」の口座に申告の記録がないことは、以前から調べられていました。これが手間なく確認できるようになる、ということです。
紙で出しても、データになる
もう一つが、AI-OCRです。手書きで提出された書類も、読み取ってデータ化されます。
紙で出せば分析されない、という時代ではなくなります。もっとも、電子申告のほうが正確に処理されるのは間違いないので、実務ではe-Taxを使うのが基本になります。
何は変わらないのか
ここが大事なところです。
AIがやっているのは、調査に行く先を絞り込む作業です。調査そのものは、これまでどおり人が来ます。二人一組で自宅に来て、二日間かけて話を聞き、通帳を見る。
そして、見られるものも変わりません。通帳の過去十年分の動き。手元にある現金。子や孫の名義になっている口座。通帳と印鑑を誰が管理していたか。税務調査で何を聞かれるかに書いた内容は、そのまま生きています。
申告漏れとして見つかる財産も、相変わらず現金と預貯金が最も多い。AIが新しい種類の脱税を見つけているわけではありません。昔からある論点を、より効率よく拾い上げているだけです。
言い換えると、AIが入ったから見つかるようになった、というものはほとんどない。以前から見つかっていたものが、見つかる確率の話として上がっている。それだけです。
「AIに狙われる」という表現をよく見かけますが、私はあまり適切だと思いません。狙われるのではなく、順番が回ってくるだけです。
十八人に一人、という数字の意味
数字を確認しておきます。
令和六事務年度の相続税の実地調査は九千五百十二件でした。同じ年分で相続税の申告書を出した被相続人は約十六万七千人。単純に割れば、調査に入られるのは十八人に一人ほどです。
つまり九割以上は調査を受けません。国税の人員は限られているので、この比率が急に変わることはないはずです。
では何が変わるか。同じ一万件を選ぶとして、その一万件の選び方の精度が上がります。これまで見逃されていた案件が入り、逆に問題のない申告が外れる。
実際、調査に入られたうちの八割強で申告漏れが見つかっています。一件当たりの追徴税額は約八百七十万円。この非違割合と追徴額が、今後さらに上がっていく可能性はあります。
きちんと申告した方にとっては、むしろ調査を受けにくくなる方向の話です。心配すべきなのは、心当たりのある方だけです。
できることは、以前とまったく同じ
対策として、目新しいことは何もありません。
過去十年分の通帳を並べて、大きな入出金の理由を一つずつ確認する。子や孫の名義の口座を洗い出して、名義預金かどうかを判定する。使途のわからない引き出しがあれば、説明を作る。タンス預金と直前の引き出しで書いたとおりです。
生前贈与をしているなら、贈与契約書と贈与税の申告書が揃っているかを確かめる。データが統合されるということは、揃っていれば強い証拠になるということでもあります。
書面添付制度も有効です。税理士がどの資料をどう確認したかを書面にして添付しておくと、調査に入る前に税理士から意見を聴く手続きが入ります。ここで疑問が解ければ、実地調査に至らないことがある。
ご自身で申告される方は、財産の評価よりも預金の洗い出しに時間を使ってください。落としやすいのはそちらです。自分で申告できるかという記事にも書きました。
怖がる必要はありません
この話題は、どうしても煽られやすい。誰も逃げられない、正直な人まで疑われる、そういう見出しが並びます。
私はそこまでの変化だとは思っていません。国税庁が公表している資料を読む限り、目的は税務行政の効率化とデータの統合です。限られた人員で、必要性の高い案件に集中する。組織として当然の方向だと思います。
むしろ、これまで運よく見逃されていた申告と、丁寧に作った申告の差がはっきりする、と考えるほうが実態に近い。
冒頭の方には、駆け込む必要はないとお伝えしました。そのうえで、お子さん名義の口座について一緒に確認しました。結果として一つ、申告に含めるべきものが見つかりました。
やることは、AIがあってもなくても同じです。全部出して、説明できるようにしておく。それだけで済みます。
















